私の幸せ観について2
その2。
幼少期から両親の不仲をまざまざと見せつけられて育ったワタクシです。それがなぜお嫁さんという夢に繋がるのか。
理由の2つ目です。それは、幼い頃から両親は共働き、どこかへ出かけた記憶もあまりなく、愛されていたという実感がないから
です。
親って、子供にとって絶対的な存在だと思うんですよね。常に親は子供の味方で、生き方をしつけ、触れ合いを通して身につけさせる存在で、沢山愛して、肯定してあげる存在だって。
もちろん甘やかすだけもダメですけど。でもその子の性格や自己肯定感やらが決まるのって、そういう親との触れ合いだと私は勝手に思ってるんです。完全なる持論です。
だからこそ、今になって私は幼い時に親と触れ合う機会もなく、世間に触れることも無く、家の中という完結した狭い世界で過ごしてしまったことが悔しくてならないんです。もっと愛されたかったとか、触れ合いたかったって今になって思うんです。
もちろん、親が私たちを養うために一生懸命働いていたというのもよくわかります。でも卑屈に育ってしまった私は、不仲な両親を見て、「なんで私を産んだのだろう」と思ってしまうのです。兄もいるので余計にね。
思うに、子供って食べ物とか着るものとかを与えるだけでも育つんですよ。
からだは。
心はそれじゃ育たないんです。中身のない、空っぽな人間しか出来ないんです。わたしが身をもってそれを感じてます。
じゃあなんでそんな中身空っぽな私が、不仲な両親を見て育った私が、幸せに固執するのか。また次書きます。